ニューヨーク恋物語
第10章 横浜編

大沢がニューヨークに帰って三ヶ月が過ぎた。
今日子は毎日仕事に追われていた。
企画会議、関西への出張、取引先との接待。
早朝出勤と残業の繰り返しの毎日が続いていた。
9月にはこのプロジェクトが一段落つく。
最終段階を迎え
チームは膨大な仕事量をこなすのに躍起になっていた。

そして夏休みも取れぬまま8月も終わろうとしていた。
睡眠不足、不規則な食事時間。
今日子は心身ともに疲労を感じていた。

夜遅くに部屋に戻ると寂しかった。
5月に大沢が帰国した時、この部屋で一週間過ごした。
部屋のあちこちに大沢との夢の跡が残っていて
今日子を一層切なくさせた。
疲れると、自分が何のためにがんばっているのだろうなどと
考えるようになった。
少し投げやりな時
大沢から届くメールは今日子の気持ちを救ってくれた。

今日子もまた大沢への気持ちを赤裸々に綴った。
時には仕事へのアドバイスを求めた。
近況を知らせるメールがニューヨークと横浜の間を行き来した。

夕食を食べ終わった今日子はキーボードの前に座った。
そして大沢にメールを打ち始めた。

今日は少し早く帰れました
でも疲れたので今夜は駅前のコンビニでお弁当を買って来ました。
それを今食べ終わったところです。
こんな私は主婦失格?
あッ・・・・私はまだ主婦じゃなかったわね。

今、部屋の窓からベイブリッジが見えます。
ランドマークタワーやみなとみらいの観覧車が見えます。
あなたと泊まったロイヤルパークホテルも見えます。
あの夜の思い出は生涯忘れません。
あなたには感謝しています。
港の灯りがとてもきれいです。
この部屋から二人でベイブリッジを見ていたことを思い出します。

9月半ばには仕事が一段落つきます。
半年がかりの仕事だったから、とても手ごたえを感じられました。
今が一番大変な時かな?
そして11月にはまた新しいプロジェクトがスタートする。
今度はもっと任せてもらえそうなので、来年の春までがんばるつもり。
こんな私を許してね。
あなたとのことはきっと考えるから、もう少しだけ待って。

あなたに渡した鍵のお陰で、私は毎晩あなたに夢で会える。
ニューヨークでランチタイムもしないで私の部屋に侵入してる?
あなたが来てくれるから、今夜もきっと寂しくない。
安心して眠れそうよ。

誰よりも愛している。
世界で一番あなたが好き。 おやすみなさい。

今日子のメールはすぐにニューヨークに届くだろう。


今日は午後からの会議で出勤が遅かった。
今日子は病院の待合室にいた。
このところ体調がすぐれず、食欲もなかった。
貧血がひどく微熱もあった。
きっと休日返上で仕事をして来た疲れが出たのだと。

診察室に入ると、50歳くらいの医者がいた。
医者は今日子から詳しい様子を聞いた。
そして診察をした。
病気らしい病気もしなかったので、病院とも縁がなかった。
今更ながら自分が健康だったことを思ったりした。
一通りの検査が終わると医者は今日子に言った。

「心配はいりませんよ。おめでたです。
 お腹の赤ちゃんは順調です。もう13週を過ぎたところでしょう。
 来年の三月にはママですよ。可愛い赤ちゃんが誕生です」

今日子は医者の言葉が信じられなかった。
もともと今日子は生理不順で
仕事に追われ不規則な生活が続くと
、精神的にも肉体的にも
疲労が重なり、何ヶ月も生理がないことがあった。

今回もそんなことを思っていた。
まさか妊娠したとは夢にも思わなかった。

喜びと戸惑いの中、病院から実家の母に電話をした。
母はとても喜んでくれた。
母と喜びを共有すると今日子は妊娠の喜びが2倍になった。

夜、仕事が終わって帰宅した今日子はパソコンの前に座った。
大沢に妊娠のことを知らようとキーボードを叩いた。
けれど今日子は途中で指を止めた。
こんな大切なことをメールで伝えたくないと思った。
3月には二人の赤ちゃんが生まれる。
大沢の喜ぶ顔を見ながら伝えたいと思った。
今日子は来月どんなことがあっても渡米することを決めた。

妊娠がわかると、今日子は母になる喜びと責任感から
規則正しい生活を心がけるようになった。
食欲がなくても、赤ちゃんのためだと思って食べた。
ハイヒールが好きな今日子はいつも10センチのヒールを履いていた。
それを踵の低い靴に変え、休日にはスニーカーを履いた。
コーヒーはやめて牛乳を飲むようになった。
今日子の母性は日増しに強くなっていった。

愛する大沢を一人でニューヨークへ行かせた。
大沢もまた「結婚」という言葉を口にしなかった。
仕事に未練がある今日子を自由に羽ばたかせてくれた。
大沢の気持ちは十分に理解できた。

この世で一番大切なものがようやくわかりかけてきた。
子供の頃から夢に向かってずっと進んで来た。
そしてその夢が叶う職業についた。
自分の力を十二分に発揮して、会社や上司からも認められた。
それは今日子にとって最大の喜びだった。
けれど医者から妊娠を告げられた時の喜びは
今まで味わったことがないような大きなものだった。
今日子が一番大切なものは大沢とお腹にいる赤ちゃん。
今、そうはっきりと確認できた。

今日子は上司に妊娠のことを告げた。
そして辞表を出す決心をした。
9月半ばにこのプロジェクトチームは解散する。
その後、引継ぎと残務整理。
9月末日には退職できそうだった。
今日子はもう仕事には未練はなかった。


ある夜、今日子は大沢に一通のメールを送った。


今夜もベイブリッジがきれいに見えます。
まるでお星さまのようなキラキラした灯りが輝いています。

今年も東京の夏は暑くて大変でした。

でも夜になると秋の気配を感じる風が吹いてきます。
先週、鎌倉の実家に帰ったら、ツクツクボウシが鳴いていました。
もう秋なのですね。

突然ですが・・・・
9月16日から5日間お休みが取れたの。
私、ニューヨークに行っていいですか?

実はもう航空券も手配しちゃいました。
あなたに会いたくて・・・
話したいこともあるし。
あと二週間であなたに会える。
嬉しいです。

私、ニューヨークへ行きます。待っていてください。

                    今日子

   Yokohama
Photo by Shinshin
BGM (Thank You)
第11章へ